水泳競技、柔道に続き、体操競技も夏季大会にはなくてはならない種目の1つです。1976年のモントリオール大会で、コマネチ選手が10点満点の得点を取ったことは今や伝説となり、この選手と同等の点を取った選手は今だに1人もいません。

しかし満点取れなくても、活躍している人達は沢山います。今や若手体操選手として注目を浴びている内村航平さん。彼もまたオリンピックで金メダルを取っている1人です。

内村航平さんは、どんな形で体操を始めたのでしょうか?

内村さんは1989年(昭和64年)1月3日、福岡県で生まれました。何と!昭和が終わるギリギリに彼は生まれたんですね。てっきり平成生まれなのかと思っていました。

内村さんの両親は、元々体操選手であり、父は高校総体の体操大会で優勝、母も体操選手、妹までもが体操選手と家族4人とも体操選手だったのです。

両親が体操クラブを設立した時、内村さんはまだ3歳でしたが、この時から彼は体操を始めました。中学卒業後、先輩となる塚原直也さんを訪ねて自宅を出て、彼は本格的に体操を学び始めました。

しかし内村さんの両親は、彼が家を出ることに反対をしていましたが、結局息子自身が決めたことなので、結局は折れました。

内村さんは幼少時代からトランポリンを使いながら、体操のトレーニングに励んでしました。

食事面では内村さん、意外と好き嫌いが多く、肉が好物で野菜は殆ど食べないことがありました。ですが指導者の教えに従って、野菜を多く食べるようにして、甘いものは極力控えるようになりました。

そんな彼がオリンピックに初出場したのは、2008年の北京大会でした。その時彼はまだ19歳でした。初出場の内村さんが、本番のオリンピックでどんな力を発揮したのでしょうか。

男子体操団体では、初出場の割には落ち着いた演技を見せ、銀メダルを取りました。そして個人戦では安馬の競技で多少のミスはあったものの、これまた銀メダルを取りました。

10代で体操選手が銀メダルを取ったのは、内村さんが初でした。それをきっかけに内村さんは有望な体操選手として、名前が知れ渡り、期待の星となりました。

2008年北京大会に引き続き、2012年ロンドン大会でも内村さんは、出場をします。しかし周囲の期待があまりにも大きすぎたのか、彼は予選の演技中に落ちてしまうミスをしてしまいました。プレッシャーがあったのでしょうね。

個人ではミスがあったものの、団体戦では内村さんはそれを振り切るかの様に安定した演技を披露し、2位に入賞、銀メダルに輝きました。

しかし個人戦でミスしたのが内村さんにとって、大きな痛手となり、団体戦で銀メダルを取れても、嬉しい顔は見られませんでした。

ロンドン大会後、内村さんは結婚をし、2人の女の子を授かりました。2児のパパとなってからも内村さんの体操の活躍は続きました。

そしていよいよ内村さんに頂点に達するときが来ました!2016年リオデジャネイロ大会です。彼は北京大会、ロンドン大会以上に力を発揮することに成功し、個人、団体共に念願の金メダルを取ることが出来たのです!

全ての競技種目の演技は完璧であり、内村さんの今までの体操人生の中で最も素晴らしい結果を出せたのです。

私は19歳で初出場した時から内村さんを応援してきました。何だかとっても笑顔の可愛い男性って印象でした。

ですが内村さんもやはりスポーツ選手の1人です。いつでも何処でも演技が完璧というわけではありません。

2018年3月のワールドカップ大会には出場したのですが、足首の怪我で思うような結果が出せず、苦悩しています。是非乗り越えて頑張ってほしいです。