フィギュアスケートは、女性ばかりに注目がいきがちでしたが、ここ近年に置いて、男子でも新しい旋風を吹き込んだ選手がいます。

それが羽生結弦選手です。羽生選手は若手のフィギュアスケート界に置いて、世界中から注目を浴びるようになった有望な選手です。

羽生選手は、1994年(平成6年)12月7日宮城県仙台市で生まれました。小さい頃から喘息を患っています。そもそもスケートを始めたきっかけも喘息を治すためでした。

喘息はストレスなどを強く感じると、苦しい発作に襲われるので、病院にて投薬、吸入などで治療する必要があります。個人差はありますが、喘息は大人になるとほぼ収まると言われています。

しかし、羽生選手の場合、現在も喘息は完治されていません。彼は環境の変化などでストレスを感じると、たちまち発作を起こします。あんなにフィギュアスケートで活躍している彼ですが、健康面ではまだまだ不安要素があったんですね。

喘息発作に襲われた時には、とにかく早く薬を飲んで、吸入を当てて治療するしかありません。

さて、羽生選手が初めてスケートで優勝をしたのは全日本ノービス大会でした。当時彼は9歳の幼い少年でした。姉と一緒にスケート教室に通うようになり、羽生選手は4歳から本格的に滑ることを覚えて行きました。

2012年世界選手権に初出場した羽生選手は、ショートプログラムでは調子が出ず、7位にランク。その後のフリーでは多少のミスはありながらも、素晴らしい力を発揮し、銅メダルを取りました。

その後も色んな大会で好成績で進む羽生選手ではありましたが、やはりジャンプが売り物だけに、足首の怪我もたえませんでした。

2013年4月早稲田大学に進学した羽生選手は、GPファイナルで初優勝し、翌年のソチ大会の選手として選ばれました。それが彼にとって初めての冬季大会への参加の切符となりました。

ソチ大会での羽生選手はショートプログラムでは、見事な演技を見せてくれました。が、フリーの時はサルコウジャンプ、フリップジャンプでミスが多発し、彼自身の中でもうメダルはダメかと思っていました。

でも2位、3位につけていた選手たちもミスがあり、羽生選手の得点を追い抜くことは出来なかったので、結局彼はオリンピック初出場にして金メダルに輝くことが出来ました。

ソチ大会で世界の頂点に達した彼ですが、演技では満足出来るものではなかったらしく、次の平昌大会では完璧な演技をすることを目指してまたトレーニングに励んでいきました。

その後も活躍を見せてくれる羽生選手に、また不本意な怪我が襲います。2017年秋、NHK杯の出場を目指して練習をしていた彼は、運悪く転倒し、右足首を痛めてしまいます。

この怪我のせいで、全日本選手権は欠場せねばならない、何とも残念なことになってしまいました。

でも2018年平昌大会には、正式に出場が決まり、怪我で思うように滑られないのではないかとの心配の声もありました。ですがそこは羽生選手、若さでその心配を払いのけてくれました。

確かに痛みはまだ治まってたわけではなく、痛み止めを注射して出場しました。ですが全てのジャンプはノーミスでこなし、ソチ大会に続いて2連覇を成し遂げました。

日本人初のフィギュアスケート金メダル2連覇!まさに羽生選手は、輝かしいスケート界の新プリンスとなりました。

なかなか達成できなかった日本人フィギュアスケート金メダル獲得は、羽生選手が新しい歴史、そして記録を作ってくれました。今後も期待できる有能な羽生選手です!