オリンピック夏季大会でマラソンは最後の方で開催されることが多いです。やはりマラソンも注目の競技なので、見ている方も楽しみであり、ハラハラドキドキの連続でもあります。

マラソンは走る選手に取っては、体調が常に万全じゃないといけません。それに現地の気候や温度も大きく関わってきます。マラソン選手に取って、走ることは3度の食事よりも生きがいとされています。

そんな中、マラソン選手で印象的な言葉を聞かせてくれた女性がいます。それは有森裕子さん。彼女はどんな言葉で印象付けてくれたのかは後程お教えします。

有森さんは、1966年(昭和41年)12月17日岡山県で生まれました。中学時代はバスケット部に所属していましたが、当時から走ることは好きで、運動会など走る競技会ではいつも1位でした。

高校生になってから、陸上部に入部し、本格的に走ることに生きがいを感じるようになった有森さん。尊敬する選手は増田明美さんでした。

その後オリンピックを目指して色々頑張る彼女でしたが、バルセロナ大会に選ばれるまでは何とも険しい道のりがありました。

怪我もあり、なかなかバルセロナ大会への参加権を握れなかった有森さん。でも陸連から怪我が回復した証を見せて欲しいということで、10キロロードレースで完璧な走りっぷりを見せて、やっとバルセロナ大会への参加が認められました。

そして1992年バルセロナ大会のマラソンに出場した有森さんは、ロシアの選手と1位をかけてラストスパートをかけましたが、惜しくも2位となり、銀メダルを獲得しました。

しかし、バルセロナ大会の後、有森さんは足の怪我などで、全く走れない時期がありました。その際、有森さんは酷く落ち込み、選手生命が断たれるのではないかといった不安に襲われました。

ですが手術を受けて、回復期に入った時、有森さんの中に「もう一度オリンピックで走りたい!」と前向きな気持ちが芽生え始め、4年後の1996年アトランタ大会の出場権を見事に獲得しました。

アトランタ大会でも彼女はラストスパートをかけて、頑張りましたが、ライバルの選手に勝つことは出来ず、3位になり、銅メダルを取りました。

その時の有森さんのインタビューでの印象的な言葉とは?「自分で自分を誉めたい。」実に素晴らしい言葉です。これは有森さん自身が「優勝は出来なかったけど、自分はここまで頑張ってこれたんだ!」とそういった意味合いを込めて自分をねぎらったんだと思います。

私にしてみれば、「自分は自分なりに精いっぱい頑張った!それでいいじゃないか!」とも聞こえました。有森さんの「自分で自分を誉めたい。」の言葉がどんなに私の励ましになったことでしょう。

2006年、有森さんは現役引退を表明しました。ですが引退をしても、走ることの情熱は今までと変わることなく続きます。

きっと今後はマラソンコーチなど、有森さんのことですから新しい選手を育てるための教育にも関わるのではないでしょうか?