女子柔道界と言えば、柔ちゃんが一番有名ですね!本名谷亮子さん。結婚前は田村亮子さんとして、オリンピックで活躍していました。

柔ちゃんの愛称は漫画の題名ですが、でも彼女にピッタリですね。そもそも柔ちゃんが柔道を始めたきっかけは、兄が習っていたからです。

柔ちゃんが小学校2年生の時、兄の通う柔道教室に入部したのです。ですが子供時代の柔ちゃん、柔道を始めたのが影響したのか、実際に同級生の男の子を投げ飛ばしてしまい、運悪く怪我をさせてしまいました。

小学生の割には結構力があったんですね。それからの柔ちゃん、小学生対象の柔道大会に参加して優勝を果たしました。

1991年(平成3年)4月柔ちゃんは、柔道に特に力を入れている高校に進学しました。そこで彼女は本格的にオリンピック出場に向けて、猛特訓を始めます。

その間世界選手権では、見事に優勝をしました。

翌年5月、体重別決勝戦に出場し、順調に勝ち進んでとうとうバルセロナ大会への出場権を握ることが出来ました。柔ちゃんのオリンピック初出場です。

バルセロナ大会でも彼女は、プレッシャーに負けることなく、柔道大会に参加しました。しかし途中脱臼などの怪我に見舞われ、優勝戦では惜しくも2位、銀メダルでした。

当時柔道競技会で16歳だった柔ちゃんは、最年少メダリストになりました。まだ10代の柔ちゃんは今度は4年後に金メダルが取れるように賭けました。

ですが4年後のアトランタ大会に柔ちゃんは連続出場するも、またもや銀メダルで、金には届きませんでした。2度の銀メダルで柔ちゃんは「次こそ金を!」と意気込んでいました。

そしてついに2000年(平成12年)シドニー大会で、柔ちゃんは努力が実って、念願の金メダルに輝きました。「やっと取れた金メダル!」彼女の感激ぶりは相当なものでした。

彼女の故郷福岡県では、その功績をたたえて「国民栄誉賞」を柔ちゃんに贈りました。プライベートでは柔ちゃんは、2003年(平成15年)12月プロ野球・オリックスの谷佳知さんと結婚、2人の男の子を設けました。

翌年2004年(平成16年)のアテネ大会にも柔ちゃんは選ばれ、優勝戦では背負い投げで相手の選手を負かし、2回連続の金メダルに輝くことが出来ました。その頃夫の谷佳知さんもアテネ大会の野球大会に参加し、銅メダルを獲得し、夫婦そろっての嬉しいメダリストになることが出来ました。

長男出産後も柔道を続ける柔ちゃんでしたが、2008年(平成20年)北京オリンピックでは力及ばず銅メダルで終わってしまいました。

それ以後は柔道界に姿を現すことがなくなった柔ちゃんですが、彼女の今までの頑張ってきた姿を見て、後輩たちが柔ちゃんの様に強くなりたいと練習に励む姿を見掛けるようになりました。

日本女子柔道界は、柔ちゃんの活躍をさかえに、どんどん新しい選手の名前が挙がるようになり、後に有名なメダリスト誕生になっていきました。

これは本当に柔ちゃんの過去の活躍ぶりが、後輩たちにいい影響を与えた証拠でもあります。