1976年、カナダのモントリオールでオリンピックが開催されました。期間は7月17日~8月1日までということで、もうこの頃はオリンピックは完全に夏に行われていたことが分かります。

4年に1回のスポーツの祭典のオリンピックはどんどん進むごとに、歴史に名前を残す選手が誕生しました。これは日本人じゃなく、他国の選手でもそうです。

金メダルでも日本人選手は、全部で9個獲得する素晴らしい活躍ぶりを見せてくれました。東京大会の時と同様、女子バレー、男子体操総合団体、個人プレーでも金メダルを取ることが出来ました。

モントリオール大会で日本人選手が活躍する中、女子体操選手で唯一満点の高得点を取って、金メダルに輝いた選手がいます。皆さんは知っていますか?

それはルーマニア出身のナディア・エレーナ・コマネチです。彼女は6歳の時から体操を始めました。体操のコーチにコマネチは、才能を見出されて本格的に体操の練習に励んでいきました。

初めての国内大会で、コマネチは13位にランク入りを果たし、まずまずの成績でした。そして彼女は14歳でモントリオール大会の女子体操に出場することになります。

可愛らしい白いレオタード姿が、愛らしかったのか、彼女は「白い妖精」と呼ばれていました。14歳にしては堂々たる演技で、段違い平行棒、平均台で歴代オリンピック初の10点満点の高得点を取りました。

今まで体操で10点満を取得した選手は1人もおらず、当時の得点ボードは9.99までしか表示出来ませんでした。IOC委員会は満点を出せる選手などいないだろうと想定して、9.99までの数字表示しか設定していなかったのです。

コマネチはモントリオール大会で、個人、団体と合わせて3個の金メダルを獲得し、一躍知名度を挙げていくこととなりました。

その後の大会で、コマネチの様に体操で満点を出す選手は現れることがなく、彼女は本当にただ1人の体操での満点選手となってしまいました。

モントリオール大会後も、コマネチは活躍を続けますが、突如として彼女に大きな変化が訪れます。それは両親の離婚や過激な体操の練習のストレスで、一気に体重が増えてしまい、体系が崩れてしまいました。

体重が増えた状態で世界体操競技会に出場し、再度得意とする段違い平行棒にチャレンジしますが、演技の途中で落下するなどのアクシデントに見舞われました。

1979年(昭和54年)、コマネチは何とか現役続行出来るように、また前の様にスマートになり世界選手権大会に出場するも、運悪く手首を大けがしてしまい、その痛みに耐えながらも金メダルを取ることが出来ました。

ですが怪我の程度は思った以上に重く、手術して入院する羽目になってしまいました。

そして1981年(昭和56年)現役を引退して、その後は国際オリンピック委員会の委員に抜擢されました。

私生活では1996年(平成8年)4月に故郷のルーマニアで結婚し、男の子を設けました。

母親となったコマネチはその後世界選手権や2008年(平成20年)の北京大会の体操競技の解説者としても活躍していました。

オリンピックの体操競技で満点を出したコマネチですが、この記録は今の所誰も破ってはいません。いかに彼女は実力があったってことがハッキリと分かりました。