オリンピックは、どうしても夏季大会に話題が偏りがちです。もう1つの冬季大会も忘れてはいけません。

冬季大会も4年に1回の開催で、初代の開催地は1924年のフランスのシャモニーでした。初代では参加国は少ないのは勿論、その分選手も少なかったです。

ですか初代夏季大会のアテネの時と違って、シャモニー大会ではすでに女性のオリンピック参加も認められ、女性選手の参加人数も男性選手の人数とほぼ変わらない状態でした。

冬季大会といえば、スキー、スケート、アイスホッケーなど、冬にしか出来ないスポーツの祭典でした。

ですがこの冬季大会、1940年は札幌、1944年にはイタリアのコルチナに開催が決定していたにも関わらず、第二次世界大戦の真っ最中で中止となってしまいました。

そして戦後最初に冬季大会が行われたのは、スイスのサンモリッツでした。この大会をきっかけに冬季大会の参加選手はどんどん増え始め、1964年のオーストリアのインスブルック大会では、とうとう1,000人を超しました。

現代も冬季大会では1,000人以上の人数を保ち続けています。さて、この冬季大会で活躍した日本人選手を調べてみましょう。

名誉ある日本人初代の初のメダリストは、1960年コンチダナンペッツオ大会で銀メダルを獲得したスキーの猪谷千春さんです。この大会では猪谷さん只1人の他に金や銅を取った選手はいませんでした。

それでは初の金メダルを獲得したのは、誰なのでしょうか?それは1972年札幌大会で、ジャンプスキー70mに参加した笠谷幸生さんでした。何と!地元日本で日本人の初の金メダル獲得者が出たいうことは、当時としては価値ある、そして名誉だったんでしょうね。

この札幌大会では、笠谷さんが金、金野昭次さんが銀、青地清二さんが銅と全員スキージャンプ70mで上位3位、メダルを総なめにしたことが分かりました。

冬季大会では、なかなか日本人選手のメダル獲得には遠いものがあり、苦戦を強いられた選手が多く見られました。

ですが1992年のアルベールビル大会から、メダルを獲得する日本人選手がどんどん増えてきて、スキーだけでなく、冬季の花形フィギュアスケート、スピードスケートなどでも活躍して知名度が上がってきました。

特に1998年長野大会では、男子のスキージャンプラージヒルの個人、団体共に金メダルに輝き、大きな話題と感動を呼びました。

特に女性で只1人金メダルを獲得した、スキーフリースタイルモーグルの黒谷多英さん!あの素晴らしい演技は今でも忘れることが出来ません。

やはり日本開催だと、日本人選手は力が発揮出来るのでしょうか?いえいえ、その後開催地が変わっても日本人選手は頑張ってメダルを獲得しています。

いつもテレビで見ていて不思議に思うのは、ジャンプスキーのバランスのいい飛び方なんです。あんなに高いところから滑って雪の上を着地するあの独特の演技!

ジャンプスキー選手の皆さん、怖くないんでしょうか?でも怖かったら参加出来ませんね。

相当なトレーニングを積んで、あそこまでになるには本当に大変です。う~ん、冬季は夏季とは違ったまた素晴らしいものが沢山あります!