オリンピックの目玉と言えば、金メダルですね。金メダルを獲得すると、世界中の頂点に立ち、観衆の人々から一気に注目が集まります。本当に素晴らしいことです。

さて、1896年アテネから始まった近代オリンピックですが、徐々に日本人選手の参加も増えてきました。

日本人選手で、一番最初に金メダルを獲得したのは誰だか、皆さんご存知でしょうか?初代日本人選手の金メダル者は、1928年アムステルダム大会の陸上男子三段跳びの「織田幹夫さん」です。この同じオリンピックで、2番目に金メダルを獲得した選手もいます。

それは競泳男子200メートル平泳ぎの「鶴田義行さん」です。この日本人選手2人が初代金メダリストに輝いた功績を残しました。では2人のこの選手の簡単なご紹介をしましょう。

まず歴代最初に金メダルを獲得した織田幹夫さんは、1905年(明治38年)3月30日広島県に生まれました。子供時代から足が早くて、中学時代のマラソン大会で優勝をした経験があります。

高校へ進学した当時、まだ陸上部がなかったため、足の速い織田さんはそれを活かしてサッカー部に入部し、活躍をしていました。

その後暫くして、高校に陸上部が出来始め、織田さんは今までのサッカー部を辞めて本格的に陸上の練習を始めるようになりました。

でも陸上部にはまだ現代の様に顧問の先生がいたわけではありませんでしたから、織田さんは自分の力で練習を積み重ねていきました。彼が初めて陸上競技に参加したのは、「極東選手権競技大会」でした。ですが入賞まではいきませんでした。

それでも負けず嫌いの織田さんは、陸上に情熱を燃やし、1928年(昭和3年)早稲田大学に進学して、そこでも陸上部に入部しました。同年アムステルダム大会への切符を手にして、織田さんは陸上選手として出場、そして初の金メダルを獲得することが出来たのです。

その後織田さんは朝日新聞へ入社し、仕事の傍ら陸上のコーチなどもなさっていました。

次に同じ大会で日本人2番目となる金メダルを獲得した鶴田義行さんは、1903年(明治36年)10月1日鹿児島県に生まれました。鶴田さんは1920年海軍海兵隊に入隊後、本格的に水泳を始めるようになりました。翌年の1925年には明治神宮競技大会や日本選手権水泳大会に出場し、両大会の平泳ぎで見事優勝しました。

その功績が認められ、3年後の1928年アムステルダム大会へ出場し、200メートル平泳ぎで見事優勝、織田さんに続く2人目の金メダリストとなりました。

その後愛媛新聞社に入社して仕事の傍ら、水泳教室を開くなど、多方面でも活躍されていました。

アムステルダム大会では織田さんが日本人として、初めての、そして鶴田さんも同大会で2人目の金メダルを獲得したことは、本当に後々の選手たちに大きな影響を与えましたね。

鶴田さんは4年後の1932年ロサンゼルス大会でも優勝を果たして、オリンピックメダル2連覇を達成するという、好成績を残しました。

この頃から日本人選手のオリンピックでの活躍が光り始めたと言ってもいいでしょう。