オリンピックでは大概が男性選手の活躍が目立っており、なかなか女性選手からのメダル獲得者は出ることがありませんでした。

でも女性だって負けてはいられません。同じ人間なのですから、男性ほど力が及ばなくても、必ず優勝者は出るはずだと誰もが信じていたのではないでしょうか?

そこで今度はオリンピックで女性で一番最初に金メダルを獲得した女性をご紹介しましょう。それは1936年ベルリン大会に参加した前畑秀子さんです。

前畑さんは1914年(大正3年)5月20日、和歌山県に生まれました。両親は豆腐屋を経営しており、子供時代から前畑さんは泳ぐことの好きな少女でした。

前畑さんは中学時代から、色んな水泳大会に出場しては優勝を果たし、その功績をたたえたことで、校長から前畑さんは、椙山女学園(愛知県・名古屋市)へ進学を勧められました。当初前畑さんは両親の家業を手伝うつもりで、水泳も止めるつもりではありましたが、椙山学園長の説得もあってか、あえて進学することにしました。

椙山女学園は水泳に力を入れている学校です。ですから前畑さんにしてみれば、大好きな水泳を続けながら、学校の勉強も出来るといった、素晴らしい条件に恵まれていました。

そんな恵まれた状況の中、前畑さんに急な不幸が襲いました。高校在学中の1931年(昭和6年)に両親を病気で相次いで亡くしてしまいました。

両親が他界した5年後、悲しみを乗り越えて前畑さんは、1938年(昭和11年)ベルリン大会に出場します。200メートル平泳ぎに参加していました。この参加には大きなエピソードがあります。そう、殆どの方が知っているかと思います。

前畑さんが参加した200メートルは、ラジオ中継されていましたが、当時の日本人アナウンサーが前畑さんを応援するあまり、「前畑ガンバレ!ガンバレ、前畑!負けるな~!」と熱が入ってしまい、ラジオを聞いていた民衆を驚かせました。

ですが前畑さんは、見事に優勝、女性として日本人初の金メダルに輝きました。

この「前畑ガンバレ!」は今後歴史に残る語りとなり、今でもそれは受け継がれています。年配者の皆さん程この言葉は印象に強く残っています。

前畑さんが女性初の金メダルを取り、多くの日本人女性が男性にも負けないで出来ることはあるんだ!と学んだのではないでしょうか。

ベルリン大会の翌年、前畑さんは名古屋大学助手の兵藤正彦さんと結婚し、前畑性から兵藤性に変わりました。

前畑さんは兵藤性になってからも、色々活躍の場を設けていました。現役引退後は、椙山女子学園の職員となり、ママさん、子供向け水泳教室などを開いて、水泳のコーチになりました。

兵藤さんは結婚後2人のお子さんを授かります。でも子育てをしながら、水泳に対する情熱は引退後も変わることなく、水泳の指導者としてもますます活躍していました。

「前畑ガンバレ!」のセリフは今でも覚えている人が多く、いかに前畑さん(兵藤さん)が残した記録や感動はいかに大きかったことが分かりました。次の世代にも語り継がれていくことでしょう。