冬季大会で一番花形といわれるフィギュアスケート。昔は氷の上のバレエと言われるように、実に華麗で選手が滑ると本当に一度に華やかさが舞うといった美しさがあります。

特に女子フィギュアは選手たちの着るコスチュームに憧れて、私の子供時代は、スケート教室に通う女の子もいたくらいです。そこで私自身、フィギュアスケートで歴代で活躍したとても印象に残っている選手をご紹介します。

それは渡辺絵美さんと伊藤みどりさんです。

まず渡辺絵美さんですが、彼女は1959年(昭和34年)8月27日東京で生まれました。父が日本人、母がフィリピン人なのでハーフなのです。

2歳からスケートを始めた彼女は元銅メダリストのコーチを受けながら、12歳で本格的にフィギュアスケートを覚え始めたのです。全日本フィギュアスケート選手権大会で彼女は8回連続の優勝を果たしました。

渡辺さんのオリンピック正式出場は、1976年インスブルック大会で当時16歳でした。メダル獲得にはなりませんでしたが、13位に入りました。

得意技はフリーのトゥループ、サルコウ3回転ジャンプです。1980年(昭和55年)6月、渡辺さんは現役引退をしました。

それから印象に残っているもう1人の伊藤みどりさん。彼女は1969年(昭和44年)8月13日愛知県名古屋市で生まれました。両親は離婚していました。

スケートを始めたのは3歳の時でした。スポーツセンターに通っては、スケートを練習していた彼女ですが、他の生徒よりもスバ抜けて上達が早かったそうです。

その後伊藤さんは、師匠の山田真知子さんの家で暮らすようになり、家族同然となりました。実は伊藤さんがフィギュアスケートを始めたころは何と渡辺絵美さんが憧れの選手だったのです。

そして伊藤さんもまた、渡辺さんと同じく全日本フィギュアスケート選手権大会の8連覇を成し遂げた実力者です。憧れの人と記録が同じだとすると、伊藤さんにとってはかなり自信につながったと言えます。

しかし育ち盛りの伊藤さんにとって、スケートをする傍ら食生活には偏食が多く、苦悩したものです。小学校時代は好き嫌いが激しく、魚しか食べなかった伊藤さんですが、中学時代には何とか好き嫌いは改善したものの、今度は体重が増えすぎてしまいました。

ですからジャンプの着地の練習などで、骨折の怪我がたえなかったのです。

練習を積み重ねて、1987年(昭和62年)カルガリー大会に伊藤さんは初出場します。彼女の売り物は3回転半ジャンプです。小型の体を活かして、他の選手よりも高く飛ぶことが、彼女の高得点への道でした。当時は5位で終わりました。

そして伊藤みどりさん最大の頂点が訪れます。1992年アルベールビル大会です。

まだ日本人女子から、フィギュアスケートの金メダル獲得者がなく、伊藤さんは当時メダルの期待がかかっていました。

しかしプレッシャーからきたのか、伊藤さんはオリジナルプログラムで得意とする3回転アクセルに失敗、結果が4位となりました。ですがフリーでも転倒はあったものの、後半で持ち直して、2位に入賞し、銀メダルを獲得することが出来ました。

一時はプロに変わるなどした伊藤さんでしたが、好成績は残すものの、体調がよくないこともありました。1996年、伊藤さんは引退をしました。

現在は伊藤みどりさんは、福岡でスケートのコーチをしています。渡辺絵美さんはタレントとして活躍しています。

2人の共通点は全日本フィギュアスケート選手権大会の8連覇です。この記録はまだ誰も破ってはいません。